たまに自分が満ちたりすぎていて、私がこんなに享受していいのだろうかと思う時がある。それと同じくらい自分に足りていないものについて考えて、どう考えても埋まらない溝に対して落ち込む時がある。
前ここに、正のループと負のループは交わらないどんどん開いていくと書いた気がする。もちろんそうで、で、私がどこにいるかっていうと中間だと思う。
今後の行動次第で、どっちにも属することができる存在。学費の心配をなく私立を選べる人間といった時点で、いやお前持ってる側じゃん、ふざけんな。と言われる気もしてる。
少し反論があるとすれば、私もなかなかの地獄を見てきた側の人間だということくらいかな。絶対言わないけど。
人類の第二形態において、すべての感情はチェックポイントのようになって、永遠の生が手に入って、死ぬことはつまり生を停止させることと表記される世界。だと太陽・惑星という本に書いてあったな、SFですが。
中間ループに属する私は、どれほどの感情を手に入れてきたのか考えてみる。死ぬほどの羨ましさを感じたこともあるし、私が地球上で1番幸せなんじゃないかとも思ったことがあるし、もう明日生きていけないと思ったことも、まあある気がする。それは美醜の話かもしれないし、貧富かもしれないし、それよりもっと大きなものかもしれないけど。
太陽・惑星に出てくるグジャラート指数というものが印象的でした。
で何を言いたいっていうかというと、何にも言いたいことはないです〜みんなの日常がそのままずっと続くことを祈っている。
液晶画面にうつる、紙くずになるお金、本来誰かの日常があったささやかな、とるにたらないものがぶち壊されている様子を、わたしは、暖かい暖房が効いた部屋で、お風呂上がりのほどよく力が抜けた身体でパックをしながら見ている。これを自覚した時点で涙が出てくる気持ちがあなたにはわかりますかね。私が中間層だからなのかもしれないし、ただ何もできない自分に絶望しているからなのかもしれないし、共感して勝手に臨場感を感じているからなのかもしれないし、それは分からないけど。
思うんですよ、こんなまともな考えをしている私の影響力が半径5mなのに、なんで、なんてなんで、、
西加奈子さんのiに出てくるアイちゃんが、各国で起こる物事の死者数をひたらすらノートに書き写していた気持ちがなんとなく理解できる。
みなさんがどうか生を全うすることができますように。祈りとか願いとか、そのレベルでの繋がりがどうかありますように。