強さと対極にあるものが、人間を人間たらしめるものなのではないかと思うときがある。
強さの前で、私は飲まれるしかない。
圧倒的な強さの前では、従うしかない
従うことすら自分で選んではいない。
爆弾が落ちて、下にいた人に考える時間なんて与えられないように。
しかし、強さは何だろうなと思う。
終わりが見えない、強さとは核兵器か、またはどうしようもない貧乏から這い上がる力か、それとも圧倒的な強さの対極にいる者とともに声をあげることなのか。
私のほとんどを構成しているのは、私の網膜から脳に伝わる、隣接したいくつものリアルと、そして私のネガティブであると思う。
苛立ちや、憎しみや悲しみがあって初めてそれとは正反対の感情を抱くことができると思う。
1番の強い悲しみを知った人は、1番の強い幸せを感じることができるのかな。
感情は数値では表すことができないから、わからないのだけど
辛かった分、幸せになれる とは、辛いという強い感情が己の心に宿った瞬間、感情の指数がぐうんと上がり、幸せという感情も強く感じることができるようになる
ことではないかと感じる。
これで行くと、1番弱い人間は1番強くなれると言える。
弱い人間は弱さを知る分、強さのことを知っている。
しかし、例外がある
強い人間は強さを知る分、弱さのことを知らない。場合がある。
なぜなのだろうか
1番の強さを知る人は、何故1番の弱さを知らないことがあるんだろう。