yummymyummの日記

こんにちは

映画のこと

オッペンハイマーを見た

180分と長いフィルムです

 

自分の愛人の死に対して向き合える人が、何故日本国民おおよそ22万人の死とは向き合えないんだろうな、でもそれは当たり前のことなのかもしれないなとも思った。

何故かというと、彼らの言動に不自然さ(ここでは道徳的に正しいとかそういうことではない)がなかったからだ

3年、20億ドル、自分のキャリア、失敗すれば首が飛ぶプロジェクト、成功したら嬉しいのは当たり前なんじゃないかな。ただそれが原爆だったという、なんて悲惨でなんて怖いんだろう、過去の人類はなんて破壊的な新世界を生み出してしまったんだろう。原爆の実験に成功して喜ぶ彼等は「日本国民を殺せる、日本に勝てる」ではなく、純粋にただ嬉しかったように見えた。

 

何だか、人を殺すための議論を聞いていたら、私たちがゴキブリ退治にかける情熱を思い出した。

人間は色々ジャンル分け、カテゴライズされるけど、果たしてどこまで違ったら自分と同じ痛みや苦しみや、そういうのに共感することができなくなるんだろう。どこまで違えば、相手を人だと思えなくなって、力を振りかざすことができるのか。

 

見てよかったと思ったのは、原爆を作った人間、落とすことを決定した人間も、しっかり人であったということだ。私はずっと、原爆に関わった人間なんて、人の心なんか持ってないんだ、だからあんな悲劇が起こってしまったんだろうと思っていた気がする。でも、22万人もの尊い命を奪った人間達は、彼等なりの正義感を持ち、家庭を持ち、愛する人の死を悲しみ、裏切りを悲しんだ人間臭い人達だった。だからこそ怖かった。

 

ナチュラルに人は人のことを殺せるんだと思った。人の事を殺すのは不自然な行為ではなく、生まれ持った極悪人的思想でもなく、自然な物事の連続だった。

「我々は」ではなく「私は」

 

オッペンハイマーへの賞賛は、何だったのだろう。強さには終わりがないと思う。ひとりひとりのほんのひとつまみの丁度いい程度では止まらない好奇心と、自己を正当化する心が、自然な物事の連続を生み、その結果が22万人の悲惨な死だったのかと思う。

 

私たちは、ごく自然に、おぞましい行動ができ、それは誰ひとりとして例外でないと思う。私は自分が強さのうわずみだけを吸って、強さの盾に安心して生きている気がしてならなかった。