yummymyummの日記

こんにちは

東京生まれ東京育ち東京嫌い

就活が終わって数ヶ月経った

就活中は、すごく大きなひとつの不安がどおんとあったから細かい不安には気づかなかった〜

すごく辛かったけど、今同じことやって!って言われても絶対2度としたくないけど。

 

最近都内で息がしにくいと思う、季節の変わり目だからかな?

表参道〜渋谷、池袋、新宿、銀座...どんどん苦手意識がある街が増えていく。悲しい

目的のないウィンドウショッピング、私はいつまでこの雑踏の中にいればいいんだ、、?と虚無感

嫌な匂い、汚い道路、溢れる人、人、顔、顔、知らない声、360°どこにも逃げ場がない

壁があるところに逃げたいとトイレに行こうとする、トイレさえごった返している。え?

 

人混みの中に自分の居場所なんてあるわけなくて、通り過ぎる人の顔とか服とか声とかに疲れて、鏡を見ると、今日見てきた人の中で自分がいちばんどっと疲れた顔をしていることに気がつく。

 

綺麗な人とすれ違う、自分の顔と照らし合わせてみる。

頭の良い人と話す、自分の学歴を恥ずかしく思う。

お金を持っている人を見る、自分の貯金口座の数字を頭に浮かべる。

はあ...もう限界なんだと思う。

ずっと家でネコと一緒にいたい、私は誰とも比べたくない。知らない人と顔を合わせたくない、誰にも見てほしくない、ずっと家で本を読んでいたい。

 

 

 

 

お盆にそれぞれパパ、ママになったいとこの話を聞いた。

それぞれにとても大変そうだったけど、聞けばすごく表情がいきいきしていた。

幸せそうで、私まですごく嬉しくなった

誰かのために一心不乱に生きている人は、本当にカッコいい顔をする、深みのある暖かい笑顔をする。

 

私にも、子供ができたらすごく幸せなんだろうなと思った。

それと同時に

もしかしたら、私たちの大部分は自分1人のためだけに生きられないのかもしれないなと思った。

自分1人のためだけに用意する食事、自分1人のためだけに貯めるお風呂、自分1人のためだけに買う美しい花、、どこまで自分のためだけにできるのかな? 

 

家族や友人、猫やメダカ、そういう自分とは異なる生命と暮らす、同じ屋根の下ではなくてもその人を想って暮らす、生きる

そうじゃなくっちゃ私たちは、少なくとも私は、自分を大切にしながら生きるのは結構ハードルが高いことなんじゃないかと思った。

 

1人の時は、リビングで明かりをつけたまま寝てしまう。お風呂もシャワーだけ、

そういうのが悪い訳じゃないよ。ただ誰かいるのと、1人の生き方の違い?みたいなものだよ。1人でも、自分のためにすんごいエネルギーを使えちゃうスーパー人間もいる。すっごい羨ましい

 

誰かのために、掃除機でも洗濯でも、寝る時に電気を消すでも、靴を揃えるでも、

そういう積み重ねは結局自分のためになってることも多いと思った。

他人を大切にすることで、間接的に自分のことも大切にできるのかなあ..とも思った。

 

最近私が、自分のことを大切にしてよ!って人に怒ったけど、自分のことを大切にするって、何、、??なんなんだろう??と私が思った 

 

自分1人のためだけに、私はどこまでできるんだろう?そして誰かのためになら、私はどこまでエネルギーを使って、どれほどのことができるんだろう?

 

なんだか無性に今一緒に生きている家族、友人、好きな人、猫をすごく大切にしたくなった

 

 

 

 

 

A

心のない人間は絶望を捨てていい代わりに、愛情や友情を知らない。

 

次へ繋ぐのだ、不完全でも、なにがなんでも

繋ぐものは命だけではない、私は次々と来る若い命がめいいっぱい輝くことができるようにしたい。

私は、人間の不完全な部分を愛したい。

完全を追い求めて、不完全な存在にしわ寄せを、不完全な部分を押し付ける人間にはなりたくない。

 

そして私は、自分の受けた生命を大切にしたかった。私は、私より長く生きている人間に、この世界の全てを肯定して欲しかったんだと気づいた。

大丈夫、世界は美しい。私がそれを証明した、だから安心して生きなさい。

と誰かに言って欲しかった、そう思わせて欲しかったんだなと思った。

 

私の生きるこの世界は矛盾で溢れていて、絶望や幻滅、焦り、不安、憎しみがうようよしていて

それでもどうしようもなく美しいから、そういう瞬間が一瞬でもあるから。

だから次に繋ぐ、不完全で完璧じゃなくて、欠点なんてありありで、ぼろぼろでも

 

戦禍で生きるまひと、彼は人間らしさをこめかみにつけていたな。

私はそういうのが好き、人間の心の部分だから、影の部分だから。

彼は強かったな、不完全な存在に不完全な部分を押し付けなかった、認めて、その死体が次の姿になれるよう、きちんと埋葬した。

なつこさんのお前なんか大嫌いだ。も同じくらい好き、彼女が幻じゃないと信じることができるから。

 

誰かの悪意で人が死ぬ、まただよ。私は、また罪のない誰かが死ぬのを横目で見ているだけになる。本当に無力だ

己の完全性を証明するために、また誰かが犠牲になる。そういう醜さを、卑しさが、ぐちゃぐちゃになってひとつにまとまって、世界を覆い隠してしまうんじゃないかと思って怖かった。

 

私は、至福を感じながら生きたい。愛情に友情に、喜びに嬉しさを感じながら、生きたい

絶望のない至福はどこにもない、本当にそう思う。

私はこの世界を少し愛することができたと思う、生きる気力が湧いてきた。

 

 

 

 

 

 

深夜2時に玄関で、私の靴と自分の靴を丁寧に磨く人間を見て、生まれて初めての感情を覚える

私が手にできたはずのものと、実際に手のひらにあるものと、手放してきたものについて、また誰かに搾取されたものについて考えてみる。

もうダメかもしれないと思った時に、淵から落ちそうになる私の手を、引っ張るでもなく、落とすでもなく、ほんの少しつま先を生きる角度に向けさせてくれたのはコンビニスイーツだったな

 

信頼できるところは沢山ある。

まず私の靴を丁寧に磨いてくれるところ、

そして私の話を遮ることなく聞いてくれるところ、なにより胡散臭い同情をしないところ

ふうん、そっか、大変だったんだ、これからは大丈夫だよ。と同情とかじゃない、哀れみとかでもない、過去をただ過去として受け取って、確実に未来に目を向けている人の言葉だな〜

 

しなくていい苦労はしないほうがいい

貧乏とか、ありえないこととか、ありありと想像することが不可能な超自然的な苦労とか。

その苦労があったから〜今我慢強くなった、屈しない心ができたうるさいうるさい、苦労を押し付けてきた側が言うな。しなくていい苦労をさせた側が言うな、黙れ、とブチギレてしまう私に。

 

死ぬまでに小説を書いてみたい。3作品くらい、私の話を誰かに読んでほしい。文字の温度管理はちゃんとやります

 

私の自由な心について、誰にもわからない揺れ動きについて。私のためだけの私の心の一部について誰かに聞いてほしいし、知ってほしいし、興味を持ってもらいたいな。そう在りたいな

いつか私の紡ぐ言葉が、誰かにとって最適な場所になるといいな。私にとっての村上春樹みたいに、私が求めていた温度と湿度と場所が図書館の棚にあったなんて。私は長い間知らなかったな、知ってはいたのかな

グッと空間を押し広げて、私の息が詰まる苦しさを取り除いてくれる村上春樹さんが作る世界のように。誰かにとって こう 在れるように、

小説を書くことが叶わなくたとしても、私が作る時間と、私と会う時間と、私が作る料理と、私が過ごした今日という時間と、、その他について。誰かにとっての良い場所に少しでもなれるといいな♩

 

辛いことも多いでしょう、春はね特に気持ちが沈みやすいから。

沈んだときはシフォンケーキを食べましょう。

コーヒーも淹れましょうね、知ってますか?ハーブスのコーヒーはおかわり自由なんですよ♩

 

苦しい時間が減りますように、どうか祈りとして届きますように

 

 

 

 

 

‪同情して欲しいんじゃなくてただ私が淡々と辛くても顔を上げて

踏み外しそうになる階段を‬なんとか踏ん張って上がってきたことを、よくやったと言って欲しかっただけだったんだなと思った。

 

哀れみの目とか、比較とかそういうのじゃなくて、ただ私がやってきたことなんだと

しなくても良い苦労を沢山して転けて、周りの人間はどんどん遠いところに行って、

途中でもう家に帰りたいんだと、わたしは家に帰りたい、帰してくださいと高校の先生に泣きながら頼んで(仮病を使えば良かったのにね)

思い返せば涙が止まらないことが多かったな...

 

自分の積み重ねた気持ちとか経験をツラツラ話してる私が今日いて、すごく驚いて

まあそれはその人がそれを話したところで、私のことをそれだけで測らない人だと信じたからなのだけど

 

言わなくても良いこともある、でも話さないと忘れることもある、わたしはこういう人なのかもしれないよ?!と保険をかけているのかもしれないけど

 よくやってきたんだね、おつかれさま

とその一言がどうしようもなく慰めになった。

ずべずべになりながら一回転んでみたい。周りの手を思う存分ひっぱりながら、自己中でどうしようもなく踏み外したい。

平均点の2回り下の点数をとって、へらへらしたい。それでいて中身のある「まあ大丈夫っしょ、なんとかなるってえ」と抜かしたい。

 

代々木公園を歩いている時に、友達となんとかなると心の底から思ってる奴が嫌いだと。そういう人間は、ただ周りが「なんとかしてきてくれた」ことに気づいてない奴なんだと、そういう話をした。

そういう私達が嫌いな奴の憎いこと、だけど彼等を救って、なんとかなったと思わせてしまうのは私みたいな人間です。

 

羨ましいよな、本当に何とかなると思っている。一回どうにもならなくてくたばればいいのにな、マジで

自分で動くんだよ、自分でさあ

 

、、、と言いたいところだけど実家での私は、なんとかなると思ってる人間の1人であって

例えば食器洗いとか調理とか。

まあ何とかお母さんがしてくれると心の片隅で思っているところはある。

申し訳ないな、、1人で立てなくて

 

私も私が嫌いとする人間の成分を持ち合わせていることを自覚する。HPが減る。

 

何とかなるのかなあ。誰も助けてくれなくても、角度をつけてスルスル落ちていったとしても、手すりすら見つからない状況でも、

ほんとうに底ってあるのかなあ。