持ってるヤツと持ってないヤツの線引きはどこなんだろうと思う。
私は自分が持ってないヤツに分類されることをたぶん高校生くらいで知った。他人から見れば持ってるヤツに分けられることもあるかもしれないが、私は自分のことを持ってないヤツだと思う
私はきっといつまでいってもn番煎じで終わる
元 について考える その起源について。
斬新な言葉の並び方、選び方、無駄のない文章。新しいデザインの服、革命的なモノ
昨日までこの地獄になかった 何か
生産者、創造者達
今手にしているものはどれだけ薄められてきたものなんだろうと考える。
ハイブランドのコレクションを見て1ヶ月後にはファストファッションに酷似したデザインのものが並ぶ
ああ〜ココでコストダウンして、ああこの縫製ね〜なるほど
生産者、創造者達がデザイナーなら私はなんだ、ファストファッションに上手いことハイブランドのデザインを落とし込む人に分類されるのか、
そう言う感じである私が感じている
自分は持ってないヤツだな、と感じるのは
元を知ることがどんなに大切かと
今手にしたソレがどれだけの濃度のものかよくよく考えることが、見極める力になるんじゃないかと思う
濃いものを持ちたい、薄くてもそれがどんなふうに希釈されて原液が何であったかまで知りたい。
パロディで満足できるような脳みそじゃない
2021までくると既に搾り取られた後のような、残滓のような
今あるものをこちゃこちゃやって できた!とかそんな感じで回っているんじゃあないか
と思う
その中でも新しいモノを生み出せる人、持っている人間がいるのは知っている、羨望、羨ましい、私もそうなりたかったのに、そうあるべき人間なはずなのに
産道を通っている時間に実はもう決まっているんじゃないかとバカなことを考える
全員くたばれ