yummymyummの日記

こんにちは

フィクションとノンフィクションの狭間で曖昧に生きる

 上手くいかないこと、辛いこと、耐えられないことがある度に、なんで私がこんな思いしないといけないんだ。懇願してここに来た訳じゃない、気づいたらここに在っただけなのに、好きな外見には取り替えられないし、20年近くやってるこの性格も変えられそうにないし、、という感じで私は自分の人生の失敗を本当に自分のせいにして捉えたことが少ない。と思う、たぶん。

しょうがない。楽しいことも悲しいことも私1人で生み出した訳じゃないんだから、なのになんで正体不明のウイルスが次いつ出るかもわからない、貧困にあえぐ人間がいる、汚職をする人間がいるここで、なんで私がここで、生活しないといけないんだよ〜、

悲しいことばかりではないが、好きな文章がある好きな景色がある、好きな味がある。ここにいて良かったあ〜マジで!と思うことももちろんある。

そうじゃない人もいるけど、SNSを見て比べて自分の現状に辛くなって鬱になる人がいるらしい。わかる。

足りないのって嫌だよね満たされているように見える人が隣にいて、自分に足りないものを見ちゃう感じわかるな〜そうするとだんだん視界から足りてるものまでがフェードアウトしていく

足りていないことがどうしていけないのか

足りてないからまだ完全じゃないから良い

余白があるから窮屈じゃないわざわざそこを埋める必要はない

好きな小説はフィクションがほとんどなんだけど、登場人物の足りてなさに苦悩に共感したり美しいなと思ったりすることが多い。

 

一人称の世界で生きるから、私たちは常に裏側を見ることができないから

全知全能の神にはなれないよ神の視点は手に入らない

絵画を美術館で見る。ある意味神の視点に立つ、完全な絵画の裏側を見る、薄いキャンバス、あまりに脆すぎる。それでも私達というか少なくとも私は絵を完全なものだとして思う。他人が紡いだフィクションを美しいと思う。それが脆くて、温度湿度管理をキッチリしないと保たないから、欠点がありありだから

だからそこに在るだけでありがたいと思うし、美しいと思う。不完全でありながらも完全であろうとしている

完全ならそれはそれで面白みにかけるというか、いや別にずっとそれが完全でいてくれるならありがたいとか思わないな。変化して欠けて落ちてそれでも完全を目指そうとする余白が良いんだよなあ〜、

 

 

独り言でした。。

 

 

f:id:yummymyumm:20211012075909j:image

ポーラ美術館の学芸員さんの言葉本当に好きなんだよ