難しい
村上春樹さんの世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド、エヴァンゲリオンから色々考える。
完全体であるということが、それこそが私達人間が目指す究極の幸福だと思っていた。
魂の浄化を経て、憎しみとか哀しみがない世界が美しくて、誰も苦しむことがない世界だと思っていた。
最悪なことを言ったら、私は生まれて19年間なかなかの種類の絶望と向き合ってきたので、自らの手で(出産)次の地獄を見る人間を、絶望と向き合う人間を作ってしまうのが本当に怖くて、
世の中の人はなんてことをしているんだとさえ思ったことがある。
1番愛しい存在に、自らが向き合ってきたものと同じくらいの地獄を押し付けるなんて許されないことだと思っていた。
ここに生まれたのは、私が望んだことじゃない、勝手に気づいたらここにいて、だからこれから起こる全ては私のせいじゃない。私は望んでここに来ている訳じゃない。生まれたくて生まれた訳じゃないと思っていた。
それは弱い存在、不完全な存在である私の母親に、私だけが完全な存在であるために不完全な部分を押しつけて、押し付けたことすら覚えていなくて、そんなの手に入れたってどうしようもない。
私が目指そうとしていたのは幻で、そんなのどこにもなくて、あるとしたら一定数の不完全な人間にそれを背負わせて、完全なように見える何かだ。それならよっぽど不完全な方が良い。
引用 絶望の至福なんてものはどこにもない。
そういうことなのか。
碇ゲンドウが目指したのは、不完全な誰かに不完全な部分を背負わせて、自分だけ''この世界から上がり''の状態にすることだったのか。
引用 心を失った人間はただの歩く幻に過ぎない。
レイを愛してしまった、心のない人間を愛してしまったことは一生一方通行だ。完全な世界を目指してしまったがためのどうしようもないことだ。
心のない人間は、絶望を手放していい代わりに、愛情を知らない。
辛かったんだろう。ものすごく、完全を目指したくなるほど死にたかったんだと思う。復讐の相手を間違えたんだと思う。私達の敵は絶望とか悲しみとか憎しみとかではない。ただ周りが彼をそうさせてしまった。そういう意味では被害者というか、彼もまた不完全な部分を背負わせられた人間だったのかもしれない。完全なループの犠牲だったのかもしれない。
完全なループの犠牲者を少なくしなければならない。だからこそ、次の人間のために1ミリでも多く進めないといけない。より良い方向に導く必要がある。それが持続可能な世界であり、誰もとり残さない世界だと思う。
SDGsの原則、目標とターゲットがすべての国、すべての人々、及びすべての部分で満たされるよう、誰一人取り残さない。
死んだように生きたくないなら心と離れるべきではない。心にしがみついてでも、一緒にいるべきだ。
私は幻にはなりたくない。今心を持っている人間として、不完全のループに身を置いてそれでもいいから心を持っていたい。喜び、至福、愛情を手放したくない。同じくらいの絶望を持つことになったとしても、
絶対値は大きければ大きいだけ良いのだ。
それが私のアイデンティティになる。
それが私が私であるということになって、絶対値のその数は、私が完全なループの中に全く属していない何よりの証拠になる。